葉っぱのチケット

こころのゴミ箱

ある日の朝の会で「こころ」の話になった。
子どもたちといると、いとも簡単に深い話になることがある。
その日は「悲しい気持ちや怒ってる気持ちが心の中にあるときはみんなどうしてるの?」という話になった。

「ぎゅーっとおしこめるー」
「どっかに投げるー」
など、ドキッとするような言葉が飛び交う。

ある子が「丸めてポイってゴミ箱に捨てる」と言った。
「ゴミ箱?」と私が聞き返すと、「そう、こころのゴミ箱に捨てる」と。
ほ〜、こころのゴミ箱かあ。なるほどなと思いかけた時、別の年中児K君が顔を硬くして静かに言い放った。

「こころにゴミ箱なんかない。どこにあるんだよ。」

ちょっと怒っているかのように震えながら言っているように見えた。

一同シーン。沈黙の時間が流れる。
みんなそれについて想いを馳せて考えているということだ。

「そうか。じゃあK君は悲しいや怒ってるをどうするの?」と聞いてみると、
ほんの少し思いつめたかのように考えた後、

「持っとく」

と静かに強く言葉にした。

「そうかあ、悲しいや怒ってるを持っとくんやね」と聞き返すと、「うん」とやっぱり怒っているように頷いた。
「持っとく」ことを決意しているように見えた。

確かにこころにゴミ箱なんかないよなと考えさせられる。
それぞれの表現は違えど、なんらかの形と方法で消化するのか昇華するのか、はたまたスルーしておくのか。どちらにしても何も無かったかのような、不要なものを入れるものとしての「こころのゴミ箱」なんて本当は無いし、そもそも感情は「ゴミ」ではないのだ。
ああ、やられたなと思う。

「持っとく」と決意したように言った彼。
自分のどんな感情も味わい尽くし、その感情が無駄なもの、ダメなものと決めつけないことが自分を大切にすることにきっと繋がるのだと思う。

もし「こころのゴミ箱」があるとして、私が生きてきた中で知らず知らず入れてきた感情があるのならば、あらためて今なら拾い上げてもいいかもしれない。そして今この時も無意識にゴミ箱に入れてしまっている感情はないだろうか。
そんなことを思った。

子どもたちといる毎日は、こんなハッとさせられる出来事で満ちている。